新年礼拝「祈りを聞かれる神様」要約 詩篇66篇16−20節 2024.1/7 港キリスト教会

「祈りを聞かれる神様」要約 詩篇66篇16−20節

 

 私たちが日々祈る方はどのような神でしょうか。

 

1 あがめられるべき神(16、17節)

❶奴隷に服していたイスラエルの民が、大国エジプト脱出時において神の数々のみわざをあがめ(十の災い→血、蛙、ブヨ、アブ、伝染病、腫物、雹、イナゴ、暗闇、長子の死)、またエジプトから脱出直後、紅海を水と陸とに分けられたみわざ(6節a)。

❷水かさの増すヨルダン川を乾いた地として民を渡らせたみわざ(6節b)

❸選民イスラエルの民の歴史に介入してなされたみわざ(10−12節) 

2 義なる神(18節) 

 義なるお方ゆえに聞かれない祈りとは(18節)。心に不義を持ったままの祈りは聞かれない。

「私たちは知っています。神は、罪人(イエスを拒む人たち)たちの言うことはお聞きになりませんが、神を敬い、神のみこころを行う者がいれば、その人の言うことはお聞きくださいます。」(ヨハネ9章31節) 

「求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと、悪い動機で求めるからです。」(ヤコブ4章3節) 

 神様と罪人との仲介者となられたイエス・キリストを信じるなら、大胆に神の前に出て神との交わり、祈ることができる。

 本来神の前には出られない者でしたが、キリストの贖いのゆえに神の前に出ることが赦された。

 「私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(ヘブル4章16節)

3 あわれみ深い神(19、20節)

「主は情け深く正しい。まことに私たちの神はあわれみ深い。」 (詩篇116篇5節) 

 人前では、さらけ出しにくい自分がある。しかし、神の前では真実な自分を出せるのではないだろうか。なぜなら、神はあわれみ深いお方であるからである。

 さて、祈りはクリスチャンの特権ではあるが、闘い(忍耐)が伴う。

 しかし、祈りは神とはどのようなお方かを知るための良い方法である。

 祈りは時に不可能を可能にし、また祈りによって立ちはだかる苦難や試練を乗り越えさせてくれる。そして、祈ることによって神とはどのようなお方であるかを具体的に知り体験する。

「確かに神は聞き入れ、私の祈りの声に耳を傾けてくださった。」(19節)

 

                                 2024年  謹 賀 新 年

                                   本年も宜しくお願いします 元日

 

                                   

          

       2023年9月信州へ

    「あなたがたも用心していなさい。 人の子は思いがけな

      い時に来るのです。」(マタイ24章44節)                   

     

             2024年1月1日(元旦礼拝)大和聖書教会にて

 

 

  

「イエスの誕生と再臨」2023.12.24(日)クリスマス礼拝 港キリスト教会

 「イエスの誕生と再臨」        

 

「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエル(神我らとともにおられる)と呼ぶ。」(イザヤ書7章14節)

「これらのことを証しする方が言われる。『しかり、わたしはすぐに来る。』」(黙示録22章20節) この2つのみことばよりイエスの誕生と再臨について学ぶ。

 

 誕 生

イザヤ書7章14節預言者イザヤは、イエスの誕生を約700年前に預言し、さらにイザヤと同時代に活躍したミカも、イエスベツレヘムに生まれる(ミカ書5章2節)と預言。【因みに、初臨の預言は旧約聖書に300以上あり、その内の8つが成就する確率は10京分の1】 

 その預言通りにイエスベツレヘムに誕生、公生涯の終わりにローマ総督ポンテオ・ピラトにより十字架刑に処せら墓に葬られ、死から三日目によみみがえり、40日間人々に現れ、オリーブ山で大勢の人々の前で天に昇って行かれた(使徒1章)。

 キリストとはメシア(油注がれた王)のことで、イエスとは救いという名前である。この救いとは、人類の罪からの救いであり、罪とは憎しみ、恨み、妬み、偽り、盗み、姦淫、不品行、嘲り、罵り、憤り、悪口、高慢、殺人等で、これらの罪による神のさばきを、イエスが十字架の死によって贖ってくださった。もし、イエスを救い主と信じるなら私たちの罪は赦されて天国に行くことができるのである。

 

 再 臨

 次にイエスの再臨について学ぶ。「これらのことを証しする方が言われる。『しかり、わたしはすぐに来る。』」(黙示録22章20節)

 預言の中で最も大きな出来事とはキリストの再臨である。それは世の終わりに起こる。

 その時は、イエスは救い主ではなく、世界をさばくために来られる。その前兆の一つにエゼキエル戦争があるエゼキエル書38章)

 およそ2600年前の預言者エゼキエルが、今日のロシアとイラン、トルコ、スーダンリビア等の国々と組み、ある日イスラエルに侵攻するという預言である。

 しかし、神がご介入され1日のうちにロシアとその同盟軍が敗北し、イスラエルは戦わずして勝利する。この状況は世界中の人々が見る。

 その後に、中東和平条約が結ばれると同時に、人類は7年間の大患難時代を通り、その7年間の大患難時代の終わりにハルマゲドン(世界最終戦争)の最中に、イエスエルサレムのオリーブ山に再臨(携挙された信者と共に)される。

 さて、今日の世界情勢や天変地異のような異常気象などは、イエスの再臨の前兆ではないだろうか。

「あなたがたも用心していなさい。人の子イエス・キリストは、思いがけない時に来るのです。」(マタイ24章44節)

「神様の赦しについて」  マタイ18章21−35節 2023.12/17 港キリスト教会

          「神様の赦しについて」 

                                                

             マタイ18章21−35節 

エスの譬えから赦すべき根拠とは。

 

第1 神に赦されたから(24−27節) ある王様が1万タラント(1タラント=約6000億円)を貸しているしもベに返済を迫るが、しもべは猶予を願い、王様は可愛そうに思い借金全部を免除してあげた。

 この王様は、しもべを憐れむだけでなく6000億円の借金全部を免除するという犠牲を払った。

 実は王様の行為と父なる神様がひとり子イエス・キリスト尊いいのちを犠牲(十字架の死)にして、私たちの罪の代価(借財)をすべて支払ってくださったという行為との対比されていのである。

「互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」(コロサイ3章13節)

第2 神の恵みを頂いたから(28−35節) 

 王様に赦されたしもべが、道中で百デナリ(約100万円)の貸しがあるしもべの仲間に会い、しもべの首を絞めて借金を全部返せと問い詰めた。

 そこで彼は猶予を願うが、しもべは借金を全部返すまで彼を牢に投げ入れた。

 この出来事の一部始終をしもべ仲間から聞いた王様は、しもべを呼びつ、お前の借金を全部免除したのになぜ彼を憐れんでやらないのかと王様は激怒し、彼が借金っ全部を返すまで牢獄に引き渡した。

 王様に6000億円もの借金を免除されたという恵みを受けた者が100万円の貸しのある人を免除してあげるのは当然である。ここに赦すべき動機がある。 

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです。」(ローマ書3章23、24節)

 

「心を一つにして祈るなら」 マタイ18章18-20節 2023.12/3 港キリスト教会

 「心を一つにして祈るなら」

 

               マタイ18章18-20節

 

 教会戒規に触れる罪を犯した信徒の問題解決のための教会の祈りとは。

祈りは神と教会を繋ぐツール(18節)

 神様はご自身の権威を信徒にではなく教会に与えられた(18節:下の注釈)。

 自己本位に陥りやすい私たちは、祈りによって神様としっかり繋がっていることで権威によるミスリードから守られるのである。

 

祈り手は数よりも質(中身)(19節)

 戒規に触れる罪を犯した信徒をさばく前に、悔い改めへと導かれるように執りなすことが最善(愛)の行為である。

 そのために、神様の前にへりくだる祈り手(二人)が求められている。それが「あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。」(19節)とのイエスのお言葉ではないだろうか。

 

祈りは教会(信徒)の霊性を高める(20節)

 罪を犯した信徒への聖書的アプローチで解決できない場合は、教会全体の問題として公に取り扱う。それでも悔い改めないなら、異邦人か取税人のように扱う(除名処分)

 その結果、教会は薄情で厳し過ぎるといった批判が起こり、場合によっては教会が分裂することもある。除名処分を教会が正しく受け止めるために大切なことがある。

 それは教会の霊性である。霊性聖霊による)は、信徒一人ひとりがみことばを正しく学び、学ぶだけでなくみことばに聞き従い、信仰と祈りの実践の中で身に着くものである。

 

「心を一つにして祈るなら」 マタイ18章18-20節 2023.12/3 港キリスト教会

 「心を一つにして祈るなら」

 

               マタイ18章18-20節

 

 教会戒規に触れる罪を犯した信徒の問題解決のための教会の祈りとは。

祈りは神と教会を繋ぐツール(18節)

 神様はご自身の権威を信徒にではなく教会に与えられた(18節:下の注釈)。

 自己本位に陥りやすい私たちは、祈りによって神様としっかり繋がっていることで権威によるミスリードから守られるのである。

 

祈り手は数よりも質(中身)(19節)

 戒規に触れる罪を犯した信徒をさばく前に、悔い改めへと導かれるように執りなすことが最善(愛)の行為である。

 そのために、神様の前にへりくだる祈り手(二人)が求められている。それが「あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。」(19節)とのイエスのお言葉ではないだろうか。

 

祈りは教会(信徒)の霊性を高める(20節)

 罪を犯した信徒への聖書的アプローチで解決できない場合は、教会全体の問題として公に取り扱う。それでも悔い改めないなら、異邦人か取税人のように扱う(除名処分)

 その結果、教会は薄情で厳し過ぎるといった批判が起こり、場合によっては教会が分裂することもある。除名処分を教会が正しく受け止めるために大切なことがある。

 それは教会の霊性である。霊性聖霊による)は、信徒一人ひとりがみことばを正しく学び、学ぶだけでなくみことばに聞き従い、信仰と祈りの実践の中で身に着くものである。