「祈りを聞かれる神様」要約 詩篇66篇16−20節
私たちが日々祈る方はどのような神でしょうか。
1 あがめられるべき神(16、17節)
❶奴隷に服していたイスラエルの民が、大国エジプト脱出時において神の数々のみわざをあがめ(十の災い→血、蛙、ブヨ、アブ、伝染病、腫物、雹、イナゴ、暗闇、長子の死)、またエジプトから脱出直後、紅海を水と陸とに分けられたみわざ(6節a)。
❷水かさの増すヨルダン川を乾いた地として民を渡らせたみわざ(6節b)
❸選民イスラエルの民の歴史に介入してなされたみわざ(10−12節)
2 義なる神(18節)
義なるお方ゆえに聞かれない祈りとは(18節)。心に不義を持ったままの祈りは聞かれない。
「私たちは知っています。神は、罪人(イエスを拒む人たち)たちの言うことはお聞きになりませんが、神を敬い、神のみこころを行う者がいれば、その人の言うことはお聞きくださいます。」(ヨハネ9章31節)
「求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと、悪い動機で求めるからです。」(ヤコブ4章3節)
神様と罪人との仲介者となられたイエス・キリストを信じるなら、大胆に神の前に出て神との交わり、祈ることができる。
本来神の前には出られない者でしたが、キリストの贖いのゆえに神の前に出ることが赦された。
「私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(ヘブル4章16節)
3 あわれみ深い神(19、20節)
「主は情け深く正しい。まことに私たちの神はあわれみ深い。」 (詩篇116篇5節)
人前では、さらけ出しにくい自分がある。しかし、神の前では真実な自分を出せるのではないだろうか。なぜなら、神はあわれみ深いお方であるからである。
さて、祈りはクリスチャンの特権ではあるが、闘い(忍耐)が伴う。
しかし、祈りは神とはどのようなお方かを知るための良い方法である。
祈りは時に不可能を可能にし、また祈りによって立ちはだかる苦難や試練を乗り越えさせてくれる。そして、祈ることによって神とはどのようなお方であるかを具体的に知り体験する。
「確かに神は聞き入れ、私の祈りの声に耳を傾けてくださった。」(19節)