「試練(誘惑)の時にも共におられる神」 創世記39章1-10節 2020.3/29 港教会

   「試練(誘惑)の時にも共におられる神」    創世記39章1-10節

 ヨセフの生涯とは、兄たちにエジプトの奴隷として売られ、やがて総理大臣になるという下克上物語である。主と共に歩んだヨセフは、いつでも、どこにおいても主を信頼していたので、彼のすることすべてを成功させてくださり、祝福されたことによって、ポテイファルの家族にも祝福が及んだ。それで、ご主人はヨセフをことのほか愛し、ヨセフに全幅の信頼を置いた。ところが、ある日ヨセフはポテイファルの妻の誘惑に晒されたが、ヨセフは誘惑に屈しなかった。ヨセフが誘惑を退けた3つの秘訣について見ましょう。

1つ目の秘訣は、神を恐れたことである(9節)。「主を恐れることはいのちの泉、死の罠から離れさせる。」(箴言14章27節)誘惑に陥ると魂が死ぬ。しかし、誘惑から守られた魂はいのちを保つ。しばしば、親が子供に「神様が見ておられるよ」と教える。神様が見ておられるという素直な心は、自分の身を守り、正しい道へと導いてくれるのである。

2つ目の秘訣とは、誘惑に耳を傾けなかったことである(10節)。アダムとエバが誘惑に陥った最大の要因は、サタンの声に耳を傾け過ぎたからではないか。聞くことは大切であるが、聞き分ける能力も必要である。ヨブ記12章11節「口が食物の味を知るように、耳はことばを聞き分けないだろうか。」と教えている。ヨセフは、ポテイファルの妻の誘惑の声を聞き入れず、執拗な誘惑から守られた。

3つ目の秘訣とは、誘惑の場から離れるあるいは避けることである(12節)。

箴言3章7節で「自分を知恵ある者と考えるな。主を恐れ、悪から遠ざかれ。」と教えている。アダムとエバはサタンの声に耳を傾け過ぎた。もし、その場から離れたら、状況が変わったかも知れない。彼らよりずる賢いサタンに立ち向かうなら敗北しかない。しかし、神の子どもは神様のそばに居るべきである。そこに安全と守りと幸いがある。

人が神から離れて、道徳的かつ倫理的に正しく生きようとするなら、弛まない努力と修練が余儀なくされる。そのような生き方は、世の誘惑に対して実に無力で脆い。しかし、主を恐れ、みことばに聞き、主と共に生きるなら、様々な世の誘惑や試みから守られる。